2023年8月14日月曜日

クリニカルパールの生まれ方 〜具体と抽象から考える〜

具体と抽象



人間の知的能力はどうやって表されるのでしょうか


「具体⇄抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問 細谷功 


この本では横軸が情報量で、縦軸は抽象度の三角形で表現されています




知の拡大は、情報量(知識)の拡大だけではなく、

抽象度を拡大させる縦の世界への発展が重要であると強調されています



「抽象化を制するものは思考を制す」といっても過言ではないぐらいに、

この抽象という概念には威力があります





横の世界は具体的な事象の集合であり、簡単にいうと知識です



料理で例えると、知識は食材にあたり、

抽象化能力は料理の腕にあたります




知識や情報の量的な拡大(横軸の拡大)


医師にとっての横軸の拡大とはどういったことでしょうか

患者さんを経験することや教科書を読むことで、情報量は拡大していきます


以前は情報は限られており、情報を手に入れる方法も限られていました

子供の頃、何か情報を手に入れるために図書館に通ったのをよく覚えています



医学に関しても昔は、論文を簡単に読むことはできず、
わかりやすい教科書もありませんでした


エビデンスも未発達であり、医療行為の根拠となるものは、
自分や他人の経験に依存していた時代があります


そのため、情報や経験をたくさん持っているということは、
非常に価値のあることでした


多くのことを知っていることは「物知り」というステータスであり、
重宝されていました

例)おばあちゃんの知恵袋、物知り爺さん



ですが、現代になるとネットやSNS、アプリによって、
情報量は拡大し続けており、誰もが簡単に情報をアクセスできる時代になりました

そうなると、単に多くのことを知っていることの価値が急速に下落してしまったのです


今では、知っていることが大事なのではなく、
知らないことが何かを知っておくことが重要であり、
それを調べることができれば事足りるのです



調べればすぐにわかることが、試験問題として未だに出されるのをみると、
「それは調べればよくないか?」と思うことは多々あります


臨床の世界では、調べるという行為が一つの技術になっており、
知っていることよりも重要になってきています





横軸の拡大の注意点


もちろん、何も知らずに毎回調べていては、
時間がかかって仕方ないので、たくさん知っていることに越したことはありません


ですが人間の記憶力には限りがあり、全てを知ることはできません



そのため、情報を取捨選択し、
どんな情報を自分の中に入れるかが大事になってきています


これはショーペンハウエルの「読書について」にも書かれています




〜「読書とは他人にものを考えてもらうことである。
 1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失って行く。」〜


本文に書かれていますが、

どれだけ大量に知識をかき集めるかが問題なのではない
どれだけ、その知識を自分で考え抜いたか、それが知識の価値を決める


読書という行為は自分の頭で考えていることになるであろうか?

読書というのは、その著者・作品に込められた思想・考えを自分の精神に、まるでハンコのように押し付ける行為である


一方で自分の頭で考えるという行為はどうだろう?

あなたの精神は誰の精神にも侵されることはない

ショーペンハウエルの「読書について」


これはまさしく、横の世界と縦の世界を言っていると思われます


見たり聞いたりした情報や本によって、知らず知らずの間に私たちの精神・思想は作られています


多読(たくさんの情報を手に入れること)が良いことなのではなく、何の本を読むかの方が遥かに重要です


世の中には、悪書と呼ばれるものが存在しています
悪書は読者の「時間」と「お金」と「注意力」を奪ってしまいます


現代では、SNSのショートムービーやネットニュースでしょうか
まさにジャンクフードならぬ、ジャンクコンテンツです

刺激的ではありますが、栄養には全くなりません



ジョブズが言っていたように
「何をやるかよりも、何をやらないか」が大事ですね



注意点の2つ目ですが、情報のinputには終わりがありません
調べれば調べるだけ情報は手に入ります


どこかでinputを終わらせる必要があります

個人的なinputの終わらせ方は、
ある程度inputをした後にそれが自分のものになっているかの確認のため、
ノートにまとめていきます

それでinputを強制終了するイメージです




縦軸の拡大


縦軸の動きが、「考える」という行為です


具体的→抽象への移動は、抽象化です

抽象→具体への移動が、具体化です




抽象化はできる人とできない人がいます

できている人は、物事の本質をとらえることに優れており、
メタ認知することが得意な人です


何か問題が発生したとしても、問題の根本原因を考えることでき、
解決までの道のりが見えています


一方、抽象化が苦手な人は、物事の表面上の問題に目を奪われてしまい、
本質的な問題が見えてきません



例えば、看護師さんに抗生剤の点滴回数を減らせないか相談を受けたとします

感染症の治療のためには、適切な投与回数があるため、無理ですと答える人もいるかもしれません

ですが、これでは表面的な問題しか見えていません


もっと本質の問題に目を向けると、患者さんが自己抜針を繰り返しており、
点滴継続がそもそも難しくなっていました

感染症が落ち着いているのであれば、抗生剤の変更どころか内服へのスイッチも可能かもしれません



このように、具体的な事象だけに目を奪われてしまう人と、
本質的な問題が見えてしまっている人が世の中には入り混じっています



残念ながら、上からは下の世界が見えますが、
下からは上の世界が見えてきません

そのため、「話が通じない」ということが多発しているのです



抽象化とは


抽象化は具体的な事象の共通部分(本質)を抽出したり、
まとめてみたり、メタの上位視点で物事を考えてみたり、
状況に応じて異なります


数字で例えるのであれば、最大公約数を探すようなものです
ただ、どこを切り取るかは、目的によって異なります


抽象化は簡単にいうと「自分で考える、自分の中に落とし込む」だと思っています


イメージとしては、集めてきた雪(知識や経験)をそのまま放置するのではなく、
そこから何かに変えていくプロセスのような感じです


雪は放っておけば消えてしまいますが、
何かを作っていくプロセスは自分の中に定着します




患者さんから学ぶとは

誤嚥性肺炎の患者さんを一人経験すると、
誤嚥性肺炎の本を読んだりuptodateを読んだりして、勉強します


ですが、それは横軸の拡大です


どこかに書いてあることは、誰かの答えであり、
自分の考えではありません


本当に患者さんから学ぶというのは、
その患者さんを経験した自分しか得ることができません


患者さんからの学びは、千差万別です
全ての患者さんから学ぶポイントはあります

学べていなければ、自分の抽象化能力が低いことに起因しています



どこを学びのポイント(切り取るか)は自分が一番勉強になったと思う部分です


自分なりのまとめ作ったり、症例の振り返りを行うことで、
どこにも書いていない自分だけのまとめ・思考過程になります


そして、その思考プロセスを同僚に共有したり、
次回の患者さんに応用することがout putになります



私たちが目指すべき形は、
「次回はより良い診療ができるようになること」です




3つの問題解決

1、具体→具体
2、抽象→抽象
3、具体→抽象→具体

の3つがあります


1、具体→具体の場合(表面的)

患者さんから「早く診てほしいほしい」と言われて、
次回はなるべく早く診るという表面上の問題解決です


根本の問題は、別のところにあるかもしれませんが、
そこにはアプローチせず、いきあたりばったり的な対応です


2、抽象→抽象(机上)


患者さんから「待ち時間が長い」と言われて、
「なるべく早く見るように努力します」という精神論で終わってしまうような場合です


3、具体→抽象→具体(根本的)


患者さんを長く待たせて、怒らせてしまったという問題が発生した時に、
なぜ時間がかかってしまったか、なぜ患者さんが怒ってしまったかを分析し、
根本原因を探り対策を講じることです



日常の問題のほとんどは、1と2で終わってしまっています
なぜなら、3は時間と労力がいる作業だからです


ですが、本気で問題を解決したいと考えるのであれば、3で行うしかありません



抽象化は医療の世界ではなく、どんなジャンルでも普通に行われています


身近な例では諺や生活に知恵も代々伝わっているものがたくさんあります


アカデミックな世界では、一般化・抽象化された仮説は、
本当に正しいかの検討が行われ、吟味されます

その検証に耐えられたものだけが、原理・原則・法則・〇〇論などと呼ばれ保存されます



医学でも同様に、具体的な事象から抽象化された学びは、
本当に正しいかどうかの検証が必要です


自分がそう思っているだけでは、間違っている可能性があるためです


幸い自分の学びや疑問は、多くの人も同じ考えにたどり着いています

自分の仮説は、すでに誰かが検証してくれている可能性が高く、
調べれば答えが出てくることがほとんどです

自分のexperience(経験)がevidence(証拠)と結び付けば、理想的な形です

evidenceがない場合は、自分の仮説は正しいか分からないという謙虚さが大事になります


クリニカルパールの生まれ方(私見)


簡単にいうと、横軸と縦軸の世界を拡張していった先に、
氷山の一角のように、ひょっこり誕生するものだと思います

パールには、見えない秘められた部分があります


多くの典型例や非典型例を経験し、
症例を振り返ることで自分の中での教訓をたくさん作り、
その中から偶然生まれるもの、それがクリニカルパールの原石です


別の表現をすると、経験と教育とエビデンスの間から、
パールの原石が生まれ、言葉のユーモアやセンスによってクリニカルパールへと昇華します





クリニカルパールは経験と教育とエビデンスで生まれると考えています

よき教育者は、自分の経験やピットフォールを周りの医師に伝えようとします

そうすると、自ずと記憶しやすい形に変えて行く必要があり、
普通に伝えるのではなく、比喩や二重の意味を持たせたりする言葉の工夫が行われます


教育というのは不思議な力があります
学習者との真剣勝負であり、教育者もその瞬間に成長しています

剣豪同士が剣を交え、途中で新たな技を会得するような感じです


症例検討会でホワイトボードの前にいると、
自分でも思ってもみなかった思考や言葉が出てくることがあります

それが、クリニカルパールになったりします


今まさに、
「パールはホワイトボードの前から生まれる」というパールが生まれました 笑




経験が重要なことは言うまでもないでしょう

ただ、経験が豊富であるのは横軸の世界が拡張しているというだけであり、
やはり縦軸の抽象化能力が伴っていないと、パールは生まれてこないと思います


エビデンスに裏打ちされているか?ということも非常に重要です

ただパールには、エビデンスの隙間を埋めているような感覚があり、
エビデンスが伴っていない、そもそも作りようがないこともしばしばです



パールの4つの基準

1、経験豊富な優れた医師から得られるもの

2、ある患者から得られた情報の中で、他の患者に対しても一般化できる

3、あまり知られていない知識をうまく伝えることができる

4、注意をひきインパクトのあることが最も重要
  簡単で理解しやすく、覚えやすくあるべきである



個人的には、4が最も大事だと考えています

インパクトのない文章や当たり前やんと・・・とつっこみたくなるような、
クリニカルパールが世には溢れています

(例:脳梗塞のtPA治療は4.5時間以内に行う!)


詩的効果が高いクリニカルパールは、まさしくアートです




クリニカルパールを実践に応用するための注意点もあります

そのパールは誰がいっているのか、本当に正しいのか
このタイミングで、この患者さんに適応してよいのか


実はこれはエビデンスを実践に応用してよいのかとほぼ同じであり、
特別なことではありません



人としての成長

知識をつけることも大事ですが、
抽象化能力を高めることが人間の知的能力を拡大する上では重要になります


専門家と呼ばれる人は知識や経験だけが豊富というわけではなく、
エビデンスがない分野でも自分なりの考えを持っており、
とても頼りになります


ですが、この世界は二次元であり、面の世界です

他の分野でも同様にこの面を大きくしていくことが、人の成長であると思っています

他科の分野や越境学習、リベラルアーツ、教養・・・


ジャンルを超えて、学びを深めることで思いがけない発見やつながりがあります



 
参考文献:
「具体⇄抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問 細谷功 
ショーペンハウエルの「読書について」

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診断の本質

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