2018年4月24日火曜日

アルコール依存の人のトラブル

アルコール依存の人が急に入院することはしばしばあります

その時の主訴は転倒だったり、意識障害だったり、

電解質異常だったり、消化管出血だったり、色々です


その場合、入院主治医のモチベーションとしては、決して高くはないでしょう

Negativeな気持ちになる人が多いと思います

医者も人間なので、その感情は変えることはできません

ですが、negativeな気持ちのまま診療が始まると、

必ず深層心理でそれが診療に影響します

例えば、急性期のプロブレムが終わったから、早めに退院させよう

となっていることが多いのではないでしょうか


なのでnegativeな気持ちになるのは仕方ないので、

negativeな気持ちに自分がなってしまったことを自覚していることが重要です

自分の感情を自覚することで、一歩引いた自分を見ることができ、

少し冷静になれます


まずアルコール依存の人を受け持つ時はこの気持ちの整理から始まる事が多いです


アルコール依存の人が、入院になった時の考え方は、

喘息の人が喘息発作で入院となったのと同じです

喘息発作で入院となった人に、negativeな感情は湧かないでしょう

それよりも発作の原因や今後発作を起こさないように、

吸入の薬の説明を行い、慢性期につなげるのではないでしょうか


アルコール依存のトラブルも全く同じです

例えば、AKAになって入院となった人がいたとして、

まずはAKAになった原因を考えます

そこまでは多くの先生もすると思いますが、

問題はAKAは比較的すぐに改善して退院できる状態になってしまうので、

すぐに急性期のプロブレムが解決すれば退院になる事が多いです

そこに喘息の時のような、慢性期につなげるというケアが抜け落ちています


喘息発作で入院になった人に、慢性期の治療をしない選択肢はないでしょう

ですが、アルコール依存の時は、negativeな感情もあいまってか、

慢性期のケアが抜け落ちてしまいます




アルコール依存の急性期のトラブルも、喘息発作と同じく、

Acute on chronicな状況です

慢性期のケアをせず、退院すれば、また何かが起きて入院となるでしょう


喘息は死ぬ病気ですが、アルコール依存の人も色々な原因で亡くなります

多いのは消化管出血ですが、自殺も多いです

アルコール依存症は慢性期のケアがおろそかだと、

亡くなってしまう病気だということを意識して、

急性期から、慢性期にうまくバトンをつなぐ努力をしていきたいものです



アルコール依存の人は多くのプロブレムを抱えています

バイオロジカルにも、ソーシャルにも、メンタルにも


アルコール依存の人のマネージメントこそ、

本当に総合的な力が求められる疾患だと思います




外来で管理するポイントはたった一つだと思っています


それは、外来に来させることです

Drop outしなければ、まずはokです

どんな肝機能でも

どんなに飲んでいてもです


見捨てない事が大事です








2018年4月4日水曜日

身体診察


身体診察


身体診察の重要性は軽んじられている傾向があります。最近の超音波検査やCT検査、血液検査が診断のkeyとなっていることは間違ありませんが、身体診察の重要性は今後も色あせることなく、輝き続けると思います。身体診察は、病歴聴取よりも大事な局面があります。





するめ まど・みちお

病歴を語ることができない、もしくは上手に自分の物語として語ることができない人たちにとって、身体所見は言葉ではないメッセージであり、それを私達は受け止める力を持たなければなりません。病歴聴取は違います。自発的に答えを言ってくれるような人もいれば、引き出して答えを手に入れないといけない時もあります。どちらかというと、病歴聴取は能動的な力が必要であり、身体診察は受動的な力が必要になります。「攻める問診」に対して、「受け取る診察」ともいえるでしょうか。患者さんは、体全体、もしくは局所の所見で、○○病であると訴えています。それに我々が耳を傾けることができるか、気が付くことができるかが問われています。そのメッセージに気が付いた瞬間、診断が確定することが度々あります。不明熱で原因が分からないと思われていた患者がいたとします。よくみると、鼠径部に黒色の痂疲がついていました。しかし当初はかきむしったものだと軽視され、そのメッセージの重要性を理解できていませんでした。痂疲の意味するメッセージがツツガムシ病でみられるescarであると理解していれば、診断は容易だったはずです。






身体所見を磨くのは、植物を育てるのと一緒

患者は全身で病気を教えてくれます。そのメッセージを受け取る力がなければ、いくら所見があっても診断はつきません。しかし、見る人が見れば、その疾患にしか見えないので、一瞬で診断がついてしまいます。まさに名人芸と呼べる技ですが、これを習得するには、知識と経験が必要です。皮膚筋炎の人の皮膚所見にヘリオトロープ疹やゴットロン徴候があることは知識として知っていても、この皮疹がその徴候であると言い切るのは、経験が必要です。身体所見は一朝一夕に身につくものではなく、じわじわと自分の中に育っていくものであり、植物の芽に水をかけ続けるような作業だと思います。そこに肥料として、上級医からアドバイアスをもらったり、教科書を読んで知識を裏打ちして、根を張っていくことで、自分の身体所見のスキルはどんどん育っていきます。水をかける作業、つまり身体所見を一つ一つ丁寧にとっていく作業を怠って、省略したり、適当にとってしまっては、自分の身体所見のスキルは成長をとめてしまいます。医師として長年経験を積んだとしても、身体所見は上手にとれるようにはなりません。循環器の医師全てが、心雑音を聞き取る能力があるかというとそうとは限りません。身体所見のスキルが必要かどうかは、自分の置かれた環境に依存します。画像検査をすぐにとれない診療所では、特に身体診察の重要度が増します。言葉をうまく話せない小児科も身体所見の重要性は高いです。毎回、画像検査や血液検査ができない環境であると考えて、病歴と身体診察を行うと、切迫感が違うのでスキルアップにつながるかもしれないと思っています。自分のとった所見にこだわりを持つことが重要です。



迅速性

身体所見の特性の一つに迅速性が挙げられます。病歴聴取を行うのはどう考えても数秒から数分は必要です。しかし身体所見はどうでしょう。宝物をよーい、どん、で探すような感じになるので、重要な所見を見つけたら、一発で診断できることもあります。例えば、原因不明のショック、下痢、意識障害の人がいたとして、何を最初に診察しましょうか。体全体にうっすら紅斑があって、充血があったら、それはトキシックショック症候群だとすぐに分かります。手が震えていて、発汗多量で、甲状腺腫大があれば、それは甲状腺クリーゼであると分かります。ミオクローヌスが著明で、腱反射も亢進しており、発汗があり、瞳孔が散大していれば、それはセロトニン症候群であると分かります。同じ文脈でも、身体所見でこれだけの違いがあれば、診断は可能です。もちろん、病歴がとれれば診断にはさらに近づきますが、臨床では自分の目の前に全くの情報がない患者が、今まさに命の火が消えようとしている状態で現れることが稀にあります。病歴聴取や検査も出来ない局面もあるかもしれません。頼れるのは、身体所見だけということもあります。例えば、飛行機の中で出会った意識障害の患者に、あなたは何ができますか。



確実性

病歴は患者が語る情報であり、嘘ではないが、正しくない時が多々あります。何度かきくと、違う内容になったり、一貫性がないことは臨床を長く続けていると分かってきます。しかし、身体所見は違います。収縮期雑音は誰が聞いても、収縮期雑音です。時に、拡張期雑音に変化したりすることはありません。身体所見は動かず、確実にそこに存在しています。確実性をなくしているのは、受け手である医師の責任です。自分の知らないものは見えないし、聞こえないので、時に所見がなかったように扱われることがあります。これは他者のプレゼンやカンファレンスでは特に注意しなければなりません。自分以外の人がとった身体所見を鵜呑みにしてはいけません。これを解決するには、直接、患者さんを診察して、答え合わせをするしか方法はありません。ぜひ、カルテの前でディスカッションするのではなく、実際の患者さんに会って、所見を一緒にとってくれる上級医を探しましょう。口癖が、「じゃあ、一緒に見に行こうか」と言ってくれる上級医はいい上級医です。


5つの目

身体所見をとる上で、3つの目(鳥の目、虫の目、魚の目)で診察を行い、2つの目(機械の目、他人の目)で確認することが重要です。






鳥の目

一つ目は鳥の目です。鳥の目のように空高くから、全体像を伺うことで、自分の置かれた立場、状況がわかり、患者さんの全体像をつかむことができます。自分と患者のおかれた状況が、ショックで具合の悪そうな患者を一人で、救急の部屋で見ようとしている状況だと分かったら、上級医やナースに応援を頼んだり、悠長に病歴をとっている暇がないことくらいわかるでしょう。そして、患者の全体像、つまり見た目やgeneral appearanceをつかむことで、今後の対応が変わります。つらそうにして冷や汗をかいているのであれば、早急に対応が必要であり、不安そうにそわそわしているのであれば、より丁寧に診察を行い、患者の不安を払拭するように心がけ、不安に感じている原因を言及していく必要があるかもしれません。鳥の目でみる身体所見は見た目だけではなく、匂いであったり、声の震え、なんとなくコミュニケーションがうまくとれない感じ、といったような、自分のもつ感覚器を総動員して、その患者から発せられているメッセージを敏感に感じ取らなくてはなくてはなりません。5つの目の中でも最も重要です。







虫の目

2つ目は虫の目であす。鳥の目で全体像をみた後は、虫の目のように局所の所見に注目します。膠原病科医や皮膚科医はまさに代表的な虫の目を使うスペシャリストです。ある時は、爪の生え際の毛細血管をみて、強皮症やSLEを診断することもできるし、ある時は手指のがさがさをみて、皮膚筋炎の診断をつけてしまいます。不明熱患者に手掌や眼瞼結膜の出血班があれば、感染性心内膜炎の診断にぐっと近づきます。適当に手のひらをみても、絶対に気づくような所見ではなく、虫になったつもりで、見に行かないと見落としてしまいます。虫の目で身体所見をとるために重要なのは、必要なのは「局所解剖の知識」です。局所解剖とは、ピンポイントでそこだけの詳しい解剖です。例えば、肩の成り立ちはどうなっているか答えることができるでしょうか。骨と筋肉と関節だけではありません。そこには、腱板とよばれる上腕骨頭を支える構造物があり、関節がスムーズに可動するために、滑液包と呼ばれる構造物があり、筋肉を動かすために支配しているC5の運動神経があります。腱板や滑液包の一つ一つの場所と名前を言うことができ、その障害を発見するためにはどんな身体所見をとればよいか分かるでしょうか。肩だけではなく、体の局所に重要な解剖が存在します。虫の目で診察するには、局所解剖に強くなるということが必要です。つまりはマイナー科と呼ばれる科の解剖に強くなることです。






魚の目

3つ目に魚の目です。魚は水の流れを体で感じ取ることができ、流れを予測することができます。身体所見において、魚の目で身体所見をとることは、身体所見の流動性を意識することです。身体所見は確実だと述べましたが、時間の経過とともに変化していくことは事実としてあります。この流動性を上手に臨床で応用することが、重要です。医師は患者に対して治療を行う、もしくは行わないこともあります。経過観察をするということは、医師にとって実は重要なスキルですが、ただいたずらに時間を過ごすのではありません。診察を行い、身体所見がどう変化するかをみることで、自分の行ったアクションが正しかったのか、間違っていたのかを見極めることができます。感染性心内膜炎の診断はその代表的な疾患です。診断基準に新規の心雑音とありますが、誰がこの心雑音を新規だと言い切ることができるのでしょうか。毎日、心雑音を聴取し、雑音はまだかまだか、と待ち構えているような愚直な医師にしか、この心雑音は新規であると言い切ることはできません。肺炎の治癒過程で、雑音が少しずつ変わることは、毎日、呼吸音を聴取する医師にしか体験できない経験です。この目立たない愚直さこそが、魚の目を持って診察できるているかという事です。





機械の目

右下腹部痛の患者がいるとします。自分のとった身体所見では確実に虫垂炎だと思うので、CTもとらずに、外科医に虫垂炎を手術してくれとは死んでも言えません。絶対、CTとります。色んな理由がありますが、一つは確実ではないからです。身体所見で診断が確定し、治療ができる病気はそれほど多くはありません。間違いのないように検査を行い、確認する作業が必要です。それとともに、身体所見では否定が出来なかった他の鑑別疾患も除外するために検査を行います。CTや超音波が日本ではアクセスが非常によいため、画像検査に走りがちですが、私たちはうまくそれを利用すべきです。例えば、自分は収縮期雑音があると思っており、これはMRだと思ったとしても、それを確認しなければ、あっているのか、間違っているのかわかりません。超音波検査を行ったら、ASであった。あー、この音はASの収縮期雑音なのだ。と間違いに気が付くことができます。自分のとった所見が正しいのかどうかは、毎回feed backを行ったほうがよいです。確認作業を画像で行うか、他の人にお願いするかです。





他人の目

主に上級医、指導医になると思いますが、自分のとった所見が正しいかどうかは、やはり一緒に診察してもらわないと何とも言えません。特に神経領域では顕著だと思います。腱反射亢進や減弱を自信をもって言える研修医がいても、まったく信用しません。上級医は思いもよらない診察をすることがあります。知らない診察法をいっぱい盗むことは研修医の特権ですので、是非、信頼のたる上級医をみつけて一緒に診察してもらいましょう。





これら、5つの目をもって、身体所見をとることが、上達への近道です。



一手間を惜しんではいけない

身体所見をとる上で心がけていることがあります。それは、一手間をおしまないことです。

時間は有限です。診察はなるべく短くして、診断して治療に入りたいものです。そうすると、時間のかかる作業は省略してしまうことがあります。自分の診察より、早く検査や画像をとったほうが、診断につながるのではないか、と考えてしまう時もあります。しかし、身体診察を頑張ってとることでしか、診断につながらないことがあります。検査や画像では代用できないこともあります。例えば、失神の患者の多くは診断がつきません。血液検査や頭部CT、心電図を行って原因がつけられるのは稀です。そんな銃弾爆撃的な検査よりもよっぽど、病歴聴取やシェロングテスト、直腸診の方が診断に役に立ちます。シェロングテストで血圧が低下すれば、それは起立性低血圧を強く示唆しますし、直腸診で血便があれば、失神は大量出血に伴うものであると分かります。ではなぜ、これほど重要な診察がしっかりと順守されていないのでしょうか。それは、忘れていたという理由の他に、手間がかかるのです。思い浮かんでも時間がないから、という理由で行われていないことも多々あります。シェロングテストは右指をクリックすれば、進む検査ではなく、自分で患者に説明をして、数分間患者の様子を観察しないといけないので時間がかかります。しかし、この一手間が診断への近道です。急がば回れです。感染性心内膜炎疑いの患者であれば、少し前かがみにして、ARを聴取しやすくして、ようやく、かすかに聞こえる逆流性雑音を探しにいきます。BPPVであれば、吐き気で苦しむ患者にしっかり説明をして、頭位を変換させてめまいを誘発する手技を行います。寝たきりの患者の発熱に対しては、看護師さんに協力してもらい、背部の観察を行い、褥瘡がないかをチェックします。外来の糖尿病の患者さんは、毎回、靴下をぬいてもらって、怪我してないかを確認します。

このように疾患を診断するためには、「一手間かかる診察」というものが存在します。その一手間を惜しむと、その後、どんな検査を行っても診断がつかないこともありますし、発見が遅れてしまいもっと大変になることがあります。

なので、どんなに時間がなくてもこの診察は絶対行う。一手間かけるぞ。と心に思いながら、診察を行います。



○○眼鏡

身体診察をする時に、鑑別疾患が浮かんで診察をするのと、鑑別診断が浮かばずに診察をするのでは、分けが違います。鑑別診断が浮かんでなければ、まずどこを診察してよいかすら分かりません。咽頭痛があれば、開口障害はないか、口蓋垂の偏位はないか、甲状腺の圧痛はないかといった所見を探します。それは、深頸部膿瘍があって、内側翼突筋にまで炎症が波及すると、開口障害がでることがあり、扁桃周囲膿瘍がひどいと口蓋垂が偏位する人もいるし、咽頭痛といっても亜急性甲状腺炎の人もいるからです。鑑別疾患があるから、その所見をとりにいくのであり、鑑別疾患が思い浮かぶかどうかで、所見が拾えるかどうかが決まります。逆に想起していないものを拾うことは難しいです。例えば、心不全の人が入ってきて、ある人は舌をチェックするでしょう。それは、鑑別診断にアミロイドーシスや甲状腺機能低下症が浮かんでいるからです。鑑別なくして、検査なし。という文言があるが、それは身体所見にも言えることです。そのため、鑑別疾患が思い浮かんだら、「その疾患に見える眼鏡」をかけたつもりで診察するとよいです。必ずこの所見があるはずだと思いながら診察します。めまいの患者さんであれば、BPPVかもしれないが、ワレンベルグが鑑別になります。ワレンベルグを疑ったのであれば、ワレンベルグを拾いにいくような診察をしないと、普通に神経所見をとっていても絶対に見逃します。ワレンベルグを見つけに行く診察は、ホルネル徴候の有無であったり、カーテン徴候であったり、わずかなwide baseであったり、わずかな構音障害です。どれもが、分かりにくいので、見落としがちですが、「ワレンベルグ眼鏡」をかけて診察をすると、ワレンベルグにしか見えてきません。身体診察はそういうものです。見える人には見えるし、見えない人には見えません。

ただ、○○眼鏡をかけることで、pit fallも生まれます。それは、本当に見たいものしか見えていないので、他の所見に気が付かないことです。例えば、複視で困っている人が外来に来ました。当たり前ですが、眼球運動に注目します。そうすると、どうやら左目の下転が障害されているようだ。と分かったとします。ですが、実はその人にはヘリオトロープ疹がありました。鑑別疾患に皮膚筋炎が上がっていなかったので、見落としていました。目は絶対に見ていましたが、全く気が付きませんでした。この人には、実は間質性肺炎があり、呼吸器の先生が後日、指摘してくれました。このように、○○眼鏡をかけて診察する時は、他の所見がとれなくなることを覚えておいてください。



まとめ

・患者さんは例え言葉が話せなくても、
体全体や局所で病気を私達に伝えてくれている(するめ)


・それを我々は身体診察というスキルを用いて、受け止めている(受け取る診察)


・身体診察のスキルを磨くのは、植物を育てるのと一緒であり、時間がかかるし、途中でやめれば、成長は望めない


・実際の診察は鳥の目、虫の目、魚の目の3つの目で診察を行い、機械の目と他人の目で確認を行う(5つの目)


・時に、○○眼鏡をかけて診察を行う


・重要なのは、一手間を惜しまないことである


病歴聴取


病歴聴取 History taking



病歴聴取というのはあまりいい訳ではありません。英語のままhistory takingの方が納得できます。なぜならHistory takingは「病歴」つまり、「病気の歴史」を聴取するという意味だけではないからです。「病(illnes)の歴史」を知るという事なら多少納得できますが、「患者の語る物語」を聴取することが本来の意味です。



患者の語る物語

医師と患者の対話のデータは客観的な事実だけではありません。客観的な情報は国家試験の問題に出てきた「病歴」の部分です。医師が患者に病歴を聴取することは、患者の人生の一部を語らせているのだと認識すべきです。このプロセスは「物語にもとづく医療(narrative-based medicine)」と呼ばれます。

病は「患者の人生」と「人生-世界」という大きな物語の1章として理解することができます。患者は語り手であると同時に物語の主人公でもあります。医師との対話のなかで新しい物語が生まれることがあり、この物語が病を治癒させる力をもつことがあります。

患者が医師に不調を訴えるときには、比喩的には「私の物語は破綻しているので、修正するのを手伝ってほしい」と願っているのです。







ここでは細かい病歴の取り方は省略します。それは症候群ごとに教科書に書いてあるので、参考にしてください。今日伝えたいのは、病歴聴取の3つの重要な意義です。それはあまり教科書には書いてありません。





  疾患を診断する

病歴聴取だけで8割の病気は診断できるといわれています。病歴聴取はお金もかからず、侵襲もない最も重要な診断ツールです。ただそれは、熟練した医師が行えばという話であり、病歴聴取の技術がない医師は、8割など到底無理です。そのような医師の場合、CTの方がはるかに役に立つということも残念ながらあります。



Whyから始まるhistory

上手に病歴を聞くにはどうしたらよいでしょうか。病気を診断するには、ただ漠然と聞くだけでは無理であり、鑑別診断を挙げ、その鑑別診断にあうような病歴を狙ってとらなければなりません。つまり何を聞けばいいのかを覚えるよりも、なぜそれを聞く必要があるのかを理解する方がはるかに重要です。サイモンシネックは、これをゴールデンサークルと名付けました。つまり、WhatHowについては、皆理解できているが、Whyについては理解している人は少ないと彼は言っています。病歴聴取について考えてみると、腹痛の人にWhat(何)を聞けばよいかは皆知っていると思います。突然発症だったのか、性状はどうか、随伴症状はないか、などです。痛みの場合は、OPQRST2という語呂があり、何を聞けばよいかはわかります。どのように聞くかも、皆知っています。最初はopenで話してもらい、徐々にclosedで聞いていきます。しかし、why(なぜ)それを聴取しなければならないかについて、理解している人は少ないです。ですが、Whyの部分が最も大事です。例えば、onset発症を聞く理由は、突然であれば、大血管系の問題が想起されるからです。大動脈瘤が破裂した、解離が起きたなどです。

つまり、Whyは想起される鑑別疾患、特に見逃したくない致死的な疾患であり、これらをひっかけるために、whatを聞いているのです。なので、病歴聴取はWhyから始まるのです。鑑別疾患が想起出来なければ、攻める問診は出来ません。





カンファレンスではたくさんの質問が飛び交います。よい訓練方法は誰かがした質問の意図を読み取る作業を行うことです。わからなければ、自分自身の中にその鑑別診断を想起出来ていないという事です。例えば、アナフィラキシーの症例にペットの飼育歴を聞いた人がいるとしましょう。なぜ、ペットを聞く必要があるのでしょうか。それはハムスターに噛まれて、ハムスターの唾液が体に入り、アナフィラキシーショックを起こすような人がいるからです。わからなければ、質問しましょう。「今、なぜそれを質問したのですか?」と。



地図(空間軸)と年表(時間軸)

病気を診断するために、病歴聴取を行いますが、年表(時間軸)を頭の中で描けるように病歴をとっていきます。時には、紙に年表を描いて、患者と一緒に完成させます。そちらのほうが、患者の言っている内容をお互いが確認でき、信頼に足る病歴と言えます。年表を作る時に気をつける原則があります。それは「いつまで本当に元気であったか」ということを明確にすることです。これは疾患のtime courseをもとに病気を考えるうえで非常に重要です。コツは症状が始まった日を聞くのではなく、いつも通り元気であった日を探ることです。例えば、認知症を含む神経疾患は発症がいつか明確でないことが多々あります。その場合、いつもできていた趣味や運転、家事動作はいつまでだったかを聞きます。それが出来なくなった時をプロットしていくと、なんとなく発症日が理解できてきます。

年表と共に大事なことは地図(空間軸)を描くことです。患者の内なる環境と外の環境を探ることです。内なる環境とは患者背景とも考えることができ、基礎疾患であったり、内服歴やアレルギー歴、飲酒歴、喫煙歴などが含まれます。体の外の環境とは、どこで生活しているか、仕事は何か、ペットや動物の暴露はあるのか、幼い子どもとの接触はあるのか、国はどこか、季節は何かなどです。患者に体の外から影響を与えるものすべてが含まれます。







病を知る
病気や生活歴について話すということは、人生の一部を語るということです。あなたは自分の人生について、初めてあった見ず知らずの他人に話すでしょうか。時には仕事の内容や性行為などかなりプライベートな部分まで聴取されることは、患者にとっては気持ちのよいものではないでしょう。そのため、患者が話す内容は患者によって選択されたものであると認識すべきです。これくらいなら話してもいいかな?と思ったことしか、話していません。もしくは患者自身が関係ないと思っていて、話さないこともあります。スペインのチェロ奏者Pablo Casalsは「音楽において最も重要なものは音符に書かれていない部分だ」と語っています。病歴聴取で本当に重要なことは「何を語らなかったか」に思いをはせるということです。この人、まだ何かを言っていないな、という心構えが必要です。それをカウンセラーの世界では「第三の耳で聴く」という言い方をします。そこには知られたくないようなSTIのリスクとなるような行為があったり、知られたら家族と自分の関係を崩してしまうようなこともあるかもしれません。



例をあげます。定期外来にきているanorexia nervosa(神経性無食欲症)の人が、徐々に腎機能が悪化していました。患者は元気そうにしています。他のデータも問題ありません。どうしてかな、と頭を悩ませていました。そこで、自分が出している薬以外に何か薬を飲んでいないか聞いてみました。すると、「海外から利尿剤を輸入している。浮腫みが嫌だからたくさん飲んでいるが、最近は倍量飲んでも尿がでない。」とのことでした。

なるほど。ボディーイメージのゆがみの問題なので、少しの浮腫みも気に食わないのか。と納得できた瞬間でした。利尿剤をやめるように伝え、利尿剤以外で浮腫みをとる生活指導を行ったところ、腎機能は改善していきました。このように、本当に大事なことは語られないのです。



疾患と病

信頼が得られていない状況では情報を引き出すのは難しいです。ではどうしたら、信頼を得ることができるのでしょうか。まずは「疾患(disease)」と「病(illnes)」との違いを認識することから始めましょう。それは「住居(home)」と「家庭(home)」といったような関係です。

病歴をとっていると、患者は診断には必要のない情報や自分なりの解釈を話すことが多々あることに気が付くと思います。質問した内容と全く違う答えが返ってきたり、話を始めているとどんどん脱線し、まったく関係ないと思われる昔の戦争の話に至ることもあります。そういう時、医師は修正します。なぜなら、疾患を診断するには必要のない会話だからです。多くの医師にとって興味があるのは「疾患(disease)」であり、この患者がどんな疾患をもって自分の前に現れたのかを考えます。当たり前ですが、疾患を診断しないことには治療ができません。疾患とは肺炎や腎盂腎炎といったような生物学的・精神的な異常を意味します。しかし患者は「病(illnes)」を語ります。病とは、疾患だけでなく、患者が疾患に罹り経験した痛みや苦しみ、経済的な打撃、家族への負担、仕事への打撃なども含まれています。



例えば、偏頭痛のため、市販の痛み止めを使っている若い女性が、喘息発作を起こしたとしましょう。疾患はアスピリン喘息と容易に想起できます。医師は痛み止めを使用しないように指示すると思います。果たしてこれで解決でしょうか。今度は患者が語る「病」について考えてみましょう。患者は30歳の若い女性であり、結婚しているが、子供はまだいない。この夫婦は実は子供がおらず、これが最近の悩みの種になっている。最近、偏頭痛の発作が増えており、頻回に痛み止めを使用するようになってきた。ある時、痛み止めを使ったら急に苦しくなり、死んでしまうのではないかという気持ちになり、病院を受診した。病院では痛み止めを今後使用しないようにだけ指示されたが、痛み止めが使用できなくなれば、この女性にとっての頭痛はさらに大きなストレスの原因となってしまい、また頭痛が来るかと思うと途方に暮れている。頭痛のせいで、仕事も休みがちになり、抑うつ状態にあるかもしれない。



このような「病」に対して我々は耳を貸さなければなりません。一歩進んだ臨床医は、アスピリン喘息に対して、使ってはいけない薬のリストを記載した紙を渡したり、次回医療機関に行くときに持っていくべきカードを渡したりする医師もいるでしょう。しかし、それでは足りません。患者が真に困っているのは、アスピリン喘息ではなく、偏頭痛の発作であり、もっと根元には夫婦間の悩みの種である不妊が隠れているからです。本当に優れた医師は、「疾患」を治すだけではなく、「病」を治すことができます。今回の場合は、「病」に耳を傾けていれば、偏頭痛の予防投与を勧めたり、痛み止めが実は不妊の原因になっているかもしれないと情報を伝えることできます。そして葉酸の投与を勧めることが、この患者の「病」を解決するということです。「疾患」を解決するだけでは、患者のニーズには答えていません。「病」にアプローチすることで、はじめて満足してもらえます。



患者の病を理解するためには、「医師が患者の世界に入り、患者の目を通して病を見ようとする」のが理想的であるといわれます。時には直接、患者に聞いてみることも必要です。「かきかえ」と呼ばれる手法であり、解釈、期待、感情、影響です。

ですが、「かきかえ」はあくまで「病」を理解するための道具です。本来人間は想像する力があります。患者自身の立場になって、自分がその状況だったら、どんなことが問題だろう、どんなことが不安だろう、と一瞬でも考えれば想像できることはたくさんあります。例えば、入院した患者さんはどんな気持ちでしょうか。自宅なら、カーテンをあけると、すがすがしい朝の光が入ってきたが、入院中では、カーテンをあけても建物が目の前にあって、憂鬱になる。

ちょっと考えれば想像できます。他にも例をあげます。著明な高血糖が新規に見つかったが、入院を拒む高齢男性のことを考えてみましょう。医師としては、高血糖状態が長く続くと脱水になったり、意識障害を来すかもしれないので、入院の説得を試みますが、患者は断固拒否の姿勢です。なぜ、入院を拒否するのでしょうか。もしかしたら、介護しないといけない妻がいるかもしれません。最近はペットの場合もあります。仕事が忙しいのかもしれません。もしくは、準備していた田植えがあるからかもしれません。このように、診断がついてもすぐに治療ということにはなりません。診断がついても、人となりが分かっていなければ、治療に入ることはできません。


患者が「どんな疾患」を持っているのかを知るよりも、その疾患を「どんな患者」が持っているかを知ることのほうが重要なのです。

入院中の患者さんは、みんな同じ服をきて、同じ食事を食べ、同じ部屋にいます。患者さんの人生は、目の前にはありません。そのことに私たちは意識的でなければなりません。それを考えると、どんな患者さんに対しても、敬語で話すのは当然だと思いませんか。




信頼関係を結ぶ
患者の信頼を得るもっとも簡単な方法は、患者に必要とされた時に、患者のそばで寄り添うことです。Phillips and Haynesは「知っているふりをすることはできる。気遣っているふりをすることもできる。けれども、そこにいるふりをすることはできない」と語っています。これは非常に大事なことで、私の失敗例をあげて説明します。在宅診療でみていた90歳の癌の末期の患者がいました。いよいよという時に、その患者から電話がかかってきました。本当は自宅で最期までみたいが、不安が強くなってきたため、やはり病院に行きたいという希望を伝えてきました。そのため、ベッドを手配し、入院できる準備をして、14時に直接病棟へ入院することになりました。しかしちょうどその時、他の患者の造影CTの検査によばれ、私はCT室に向かい、点滴をとっていました。CT室から急いで病棟にいくとすでに患者と家族は病棟にいました。いつ亡くなるかわからないような不安の極期にいる中で、自宅を離れ入院してきたのに、いつも見てくれている医師がいないということはどれだけ患者や家族にとって、不安だったでしょうか。裏切られたと思われてもおかしくはない状況でした。もちろん、この事例は自分で気が付いたわけではなく、上司に指摘されました。この時、私はこんな未熟な私でも自分にしかできない仕事というものがあるのだ、ということを強く感じました。造影の検査は誰でもできるが、患者の不安をとってあげられるのは自分しかいませんでした。



cure sometimestreat oftencomfort always 「癒すことは時々できる、苦しみを軽くすることもしばしばできる、しかし患者を支え、慰めることはいつでもできる」といったのは、ヒポクラテスです。患者の信頼を得た医師は、自分自身がどんな状況でも患者の薬になれるのです。例えそれが、研修医でも。そして、医師でなくても。


まとめ







今さらきけない疑問に答える 学び直し風邪診療

風邪の本といえば、岸田直樹先生や山本舜悟先生の名著があります 自分もこれらの本を何回も読み、臨床に生かしてきた一人です そんな名著がある中で、具先生が風邪の本(自分も末席に加わらせていただきました)を出されるとのことで、とても楽しみにしておりました その反面、何を書くべきか非常に...

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