2024年1月18日木曜日

2024年1月・能登 〜内科医の5日間の活動記録②〜

 1月某日 活動2日目

7時 救護所の扉がノックされる音がなる

  

  I先生が対応される音や光で起床(救護所の中で寝袋で寝泊まりしている)


顔を洗ったり朝ごはんを食べ身支度を整え、

9時から始まるミーティングに備えた


本日はこれまでのメンバーが帰ってしまうので、

引き継ぎを行う必要があることに気が付く

 

9時 朝のミーティングに出席

医療から、避難所から、ボランティアから、行政から意見を出して話しあった


自分は感染フロアの環境整備を任せてくれないかと発言し、承認された

ボランティアの方は避難所の人数の把握、物資を受け渡しなどをされていた

だが、今後この避難所をどうするか?

といった青写真を描ける人はS先生とロジのOさん以外にいなかった


本来ならば市の行政がリーダーとなり、

避難所をどうするかを決めていく必要があるが、

行政はこちらの避難所にまで手は回らない様子であり、

ミーティングにも出席はしていなかった


常駐している行政の方は他県からの派遣された方々であり決定権はなかった


今後、ミーティングの司会は自分がさせていただけないかと提案し了承された


初めましての方との職種を超えたミーティングであり、

全体像がつかめていないと司会はできないと感じた


避難所を自分が運営するんだ、という気持ちになった


 

10時 ミーティング後、本日帰ってしまう看護師さんと一緒に避難所をラウンドした


   Yさんipadを用いて、避難所の地図に書き込み、

   どこに何人いるか、トイレはどうなっているかなどを書き込んでいた


   その情報をもらって、自分もそれ以降はipadに書き込み情報収集していった

   紙ベースでは情報量が多く、難しいと感じた

   →今後の災害支援もデジタル化されないといけないと強く感じた

    デジタル災害支援は今後必ず進んでいくであろう


 

12時 これまでのメンバーとお別れ、とても心細かった


   災害支援の難しさは「継続性」である

   短期間でチームが入れ替わるため、いかに継続性を担保するかが課題となる



午後 感染フロアのラウンドを行った

   人数把握と体調管理のためだ


   いつもはS先生が一日1回行っていたが、

   自分にさせてくれと申し出て自分がすることになった


   →自分の上司はS先生になるので、

    必ずS先生に断りを入れてから活動をするように徹底した


    知らないところで自分が勝手に活動するのは、

    指揮命令系統から逸脱している事になる

    一方で指示を待っているだけでも足でまといになる



   〜中井久夫の災害がほんとうに襲った時より抜粋〜

    

    「何ができるかを考えてそれをなせ」というのは、災害時の一般原則である

    このことによってその先が見えてくる。


    たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。

    指示を待った者は何事もなし得なかった。


    統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。


   「何が必要か」と尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。

    今必要とされていることは、その人が到達するまでに解決されているかも

    しれない。そもそも問題が見えてくれば、半分解決されたようなものである。

     (抜粋終了)


    自分で考え、必要だと思う行動をするのが災害支援の基本ではあるが、

    報告・連絡・相談はこまめに行うことも同じくらい大事であると思われた

   



   感染者の方を患者さんと呼ばないようにした

   感染フロアのことを病棟と呼ばないよう意識した

   それでも何度も間違って病棟と呼んでしまった

   

   彼らを患者さん扱いしたり、感染フロアを病棟と呼んでしまうことで、

   レッテルを貼ってしまうような気がした

   

   彼ら彼女らは避難所の被災者さんであり、

   ここは病院でもないし患者さんでもない

  

   それを忘れないようにするため、

   患者さんや病棟という言葉は避けた



   被災者さん達は我々の指示に従う必要はこれっぽっちもない

   

   感染フロアに来ることを拒んでも良いし、すぐに下に移動してもよい

   それでもみなさん、感染フロアに留まってくれていた

 

みなさんが指示に従ってくれている時は、こちらの提案に納得できた時である


そのためには信頼を得なければならず、丁寧なコミュニケーションが大事であり、

顔が見える関係になる必要があった



感染フロアを回っていると、すれ違う人に「咳がひどくて咳止めをもらえませんか。」

「喘息気味で苦しいです」「熱が高くて・・・」「薬が終わりそうで・・・」

というような感じで、多くの人に声をかけられた


「わかりました。では名前と場所を教えてください」と言って薬を救護所から運んだが、

その時にも違う人に薬を求められ、これでは効率が悪いと感じた


薬を処方するなら、カルテに記載しなければならず、

感染フロアにカルテをそのまま持っていくこともできず、非常に効率が悪い状態であった

その瞬間、明日は薬を持ってラウンドしようと心に決めた


 

夕方 DMATの本会議に出かけた

   現場が欲しい情報(病院のキャパ、二次避難所への移動、福祉避難所はいつできるか、

   薬の処方は病院でできるか)は不明だった


みんなわかっているのか、わかっていないのかも分からなかった

人数が多すぎて聞けるような雰囲気でもなかった


   我々のチームDMAT連携はどこまでできているのか、自分だけが知らないのか、

   チームメンバーのロジはもっと情報を知っているのかもよくわからなかった


   DMATの人たちはとても疲れている様子だった

   どうやら最終日で明日で交代とのことであり、多くのメンバーがごっそり入れ替えになるようで、

   引き継ぎが不安だと司会の方も言っていた


   情報量や進行中のプロジェクトも多く、3-4日ずつで入れ替えでは継続性の担保が難しいと感じた

   資料はグーグルファイルで共有していた


 

夜  本日は自分が当直だった

   時間があったので、これまでの情報をまとめてホワイトボードに書き込み、

   情報を見える化して整理した



   情報の共有をいかに行うか、支援に入る前から課題と感じていた

  

   ホワイトボードを利用して、我々のチームだけでも同じ目標を共有し、

   現状把握の理解を均一にできるように努力した


   深夜から朝までに4名の対応を行った


(2日目の活動終了)

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