症例の解説です
来院時、片側に強い浮腫と下腿後面の疼痛を認めており、
下肢静脈血栓症(DVT:Deep Vein Thrombosis)を疑いました
DVTは肺塞栓症を引き起こし、時に致死的な疾患であるため、
早期診断・早期治療が求められます
Well’ c score for DVTでは「下肢全体の腫脹」「脛骨粗面より10cm下の下腿周囲径が健側に比べて3cm以上太い」「pitting edema」の3点が当てはまり、
高リスクとなりました
World Journal of Emergency Surgery volume 11, Article number: 24 (2016)
本患者はすぐに下肢静脈超音波検査が施行され、
左腓腹静脈の巨大血栓が確認され、DVTに矛盾ない経過と診断過程だと思われました
Dダイマーの上昇もあり、DVTの診断に疑問を持てませんでした
しかし、ADLは自立しており、
長期の臥床や既知の悪性腫瘍は指摘されておらず、
本患者になぜDVTが出現したかは疑問が残りました
そのため、入院当初はDVTの原因精査のため、
抗リン脂質抗体症候群やトルーソー症候群を含めた過凝固に陥る病態の検索を行っていました
振り返ってみるとDVTの診断自体に疑念を抱けず、
DVTの原因検索に躍起になってしまっていたことが悔やまれます
胸痛はなく、バイタルも安定しており、積極的に肺塞栓の合併は疑われず、
入院時に造影CTが撮られていなかったことも診断が遅れた要因と思われます
ただ、本症例はプライマリケアセッティングでも遭遇しやすい状況であり、
超音波でDVTの診断がつけば、入院や造影CTがなくてもDOAC(direct oral anticoagulant)で治療が可能です
そのため、超音波検査でDVTを診断しDOACを開始する際には、
本症例を思い出していただければ幸いです
Well’ c score for DVTを用いると容易に高リスクになってしまうことが多いです
ですが、重要なことは「診断がDVTらしくない」という-2点の項目です
つまりDVTと間違えてしまうミミッカーの存在に注意しなさいということです
DVTの鑑別としてBaker 嚢胞、蜂窩織炎、外傷、骨折、慢性静脈不全、
血腫、心不全、リンパ浮腫が重要です
中でもBaker 嚢胞は非常に厄介な存在です
Baker 嚢胞の破裂がDVT のミミックの
偽性血栓性静脈炎症候群(Pseudothrombophlebitis)になることもあれば、
Baker 嚢胞破裂による膝窩静脈の圧迫で本当にDVTを引き起こす
偽性偽性血栓性静脈炎(pseudopseudothrombophlebitis)こともあるからです
Baker 嚢胞(膝窩嚢胞とも呼ばれる)は半膜様筋腱と腓腹筋内側頭の間に生じる滑液包の腫脹です
増大すると圧迫感や膝関節可動域制限を認めますが、
無症状のことがほとんどです
膝窩囊腫としては,1840 年 Adams が初めて 報告されました
その後、1877 年に 英国外科医のWilliam Morrant Baker によって
疾患群として本疾患を報告してから、ベーカー嚢胞として広まりました
Baker 嚢胞は滑液増生を伴う変形性膝関節症や炎症性関節炎に続発し、
高齢者でよくみられます
小児でみられる場合は外傷が契機の場合が多いです
Baker 嚢胞が問題になるのは、多くは破裂した場合です
嚢胞の破裂は強力な膝関節伸展によって滑液包内の圧力が上昇して引き起こされると考えられています
Baker 嚢胞が破裂すると、内容物が筋肉間に流入し炎症を引き起こし、
結果として下肢の疼痛や腫脹、発赤がみられ、臨床症状はDVTと酷似します
身体所見では嚢胞は触知できず、Homan’s signが陽性になることもあり、
DVTとの鑑別が困難になります
唯一、診察で鑑別のヒントになるのは、crescent signです
J Gen Fam Med. 2019 Sep; 20(5): 215–216.
crescent signは漏れ出た滑液や血液がふくらはぎを通過し、
内踝に出現する出血班です
ただし、crescent signは全例にみられる所見ではなく、発症からしばらく時間が経ってから出現する所見であることに注意が必要です
偽性血栓性静脈炎症候群(Pseudothrombophlebitis)
このように血栓がないにもかかわらず、腓腹部の圧痛と腫脹を示し、
あたかも下肢深部静脈の血栓性静脈炎に類似した症状、徴候を示す病態は
偽性血栓性静脈炎症候群(Pseudothrombophlebitis)と呼ばれています
偽性血栓性静脈炎症候群は1977年Katzらにより初めて提唱された病態で、
Baker 嚢胞の破裂は偽性血栓性静脈炎症候群の代表的な疾患です
古い論文ではありますが、偽性血栓性静脈炎症候群を呈した15人のBaker 嚢胞破裂症例のうち、検査前に73%がDVTと誤診され、抗凝固療法が投与されていたという報告もあります
本症例のようにBaker 嚢胞破裂に対して抗凝固療法を開始した場合、
出血が増悪しコンパートメント症候群に至る可能性があり、
DVTとBaker 嚢胞破裂の鑑別は重要です
抗凝固療法で悪化しますので、DVTをpivotにした場合、
必ずBaker嚢胞破裂の可能性を検討したほうが良いと思われます
こういう関係はよくありますよね
例)PMRと診断してステロイド治療する前に、IEを除外する
急性期脳梗塞と診断しtPA治療する前に、大動脈解離を除外する
DVTと診断し抗凝固療法する前に、
ベーカー嚢胞破裂を除外する
このようにBaker 嚢胞破裂自体がDVTのミミッカーになりますが、
Baker 嚢胞破裂により膝窩静脈が圧排され二次性にDVTを引き起こすこともあります
これは偽性偽性血栓性静脈炎(pseudopseudothrombophlebitis)と呼ばれています
つまり両者が併存する可能性があるため、DVTとBaker 嚢胞破裂のどちらかを疑った場合は、もう一方が合併していないかを常にセットで考えるべきです
臨床症状ではDVTとBaker 嚢胞破裂の鑑別は困難であるため、
超音波検査を行うことがファーストステップです
DVTの症状が急激に出てきた場合は、
依頼文に「Baker 嚢胞破裂も鑑別です」と記載するとよいと思われます
超音波検査でも本症例のように騙されることがあるため、
違和感のあるDVT(巨大すぎる、部位がおかしい)をみた場合は技師さんと
ディスカッションを行い、自分で超音波検査を確認することをおすすめします
造影CTが撮影できるのであれば、造影CTも検討します
そして超音波検査ではっきりしない場合は、
MRIという選択肢があることを頭の片隅に入れていただければ幸いです
Baker 嚢胞破裂には3回騙される
1:臨床症状でDVTだと思ってしまう
→DVTはなくBaker 嚢胞破裂だった=偽性血栓性静脈炎症候群
2:超音波検査でDVTだと思ってしまう
→実はDVTはなく、Baker 嚢胞破裂だった=偽性血栓性静脈炎症候群
3:Baker 嚢胞破裂の診断後に
→実はDVTも併存していた=偽性偽性血栓性静脈炎症候群
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