2024年1月20日土曜日

2024年1月・能登 〜内科医の5日間の活動記録(振り返り)〜

  <活動を終えて>


今回の活動では避難所(400-500人)の運営に関わらせてもらった


災害支援はどの所属でいくか、どの時期に行くか、

どんなチームメンバー構成か、何人でいくか、

で全く異なる活動になる


自分はDMATやAMAT、JMAT、日赤、TMATとしてではなく、

病院から派遣されたNGOの組織の一員として活動させてもらっていた


チームメンバーの役割としては、医師としての役割はもう一人の医師に任せたので、

他、看護師・ロジとして現場と避難所運営に関わらせてもらった


時期としては亜急性で、急性期のバタバタが落ち着き、

これから震災関連死が増えてくるタイミングであった


自分の使命は、感染症を抑えることで震災関連死を防ぐことであった

幸い活動中に震災関連死で亡くなった方はおられなかった



急性期に入った医療チームが避難所のアセスメントを終えた後は、

どのチームがどの避難所運営を行うかを決めることになる


各避難所に一つのチームが滞在して、運営に携わることが多い


我々の前チームはいくつかの避難所アセスメントを行い、DMATと相談してある一つの避難所を任されたばかりであった



避難所運営は、たくさんやることがあるが、

まずは土足を禁止にすることから始まる


汚れたトイレにいった後、そのまま寝床の横まで土足で戻ってきて、

靴が置いてある横でみなさん寝ている


腸炎が流行している状況では、

トイレから自分の居住区にウイルスを持ち運んでしまっている


腸炎が流行るのも無理はない


平時の状態で考えると土足禁止は当たり前なのだが、

発災直後、命からがら逃げてきた1000人が押しかけた混乱状態で、

椅子取りゲームのような感じで、ようやく自分の生活場所を確保した状況である


続々と避難者さんが訪れる入り口では、

靴を脱いで止まってしまっていると

後ろから来た人波に踏み潰されるかもしれない

そこで靴を脱いでいる余裕はないのであろうと想像する


もしくは一人が土足で入ると、じゃあ自分も、

となるのであろう


平時に避難時は土足をやめてもらうように周知しても、混乱状態で有効かは不明だ


避難所の管理者が、

最初に行うべき仕事は土足禁止の徹底と

入ってはいけない場所を徹底することだと感じた





まず避難所についた時は、

「土足禁止」になっているかどうかを確認する必要があり、

土足禁止になっていなければ、なるべく早めに土足禁止にしないといけない


時間が経てば経つほど、土足禁止が億劫になる

「今更もういいじゃないか」となる前に、みなさんを説得する必要がある


そして一斉にみんなで掃除をする必要がある

今回も2日かけて行った作業だったらしい





土足禁止をすでに前のチームが成し遂げていたので、我々は大変助かった




もう一つ、前チームの大きな功績として、

感染者が急増している状況でゾーニングが行われていたことであった


これも言うのは簡単ではあるが、実際に行うのは非常に大変だ


すでに全ての部屋が埋まっている状態で、

感染者が過ごせるスペースを確保する必要がある

まずは感染者スペースをどこにするかを考えなければならない


そして、すでに居住スペースを手に入れていた人たちに移動してもらう必要がある


せっかく数日経って、何とか確保した場所を移動しなければならないのだ


誠に心苦しいが、引っ越しをお願いしなければならないのである


何とか引っ越しを説明しスペースが確保できた後は、

感染された方に感染者スペースへ行っていただく必要がある


これも納得してもらわないとできないことだ


このように感染対策のハードとソフトの整えるのが、ゾーニングである


ゾーニングと一言で言っても、

中身は人と人とのやりとりである


感染の知識があればこのプロジェクトを実行できるわけではないし、

感染症に精通しただけ人がやるべきかというとそんなこともない

 


必要なのは熱意と誠意だ



上記の構想を練ったら、それを丁寧に避難者さんと運営側に伝え、実行に移す必要がある


我々が到着時にはすでにそれが達成されていた


土足禁止もゾーニングも人を動かす必要があり、

「人を動かす力」が避難所の運営に求められる



我々の仕事はゾーニングがぼんやりとした形になった状態であったので、

そこをより良い環境に調整したことである



感染フロアの運営・環境調整を整えることが自分の使命であると感じていたので、

5日間で形になってよかったと思っている


災害支援で大事なのは、「CSCATTT」と「鳥の目・虫の目・魚の目」ではあるが、

避難所の運営に必要なのは、「リーダーシップとプリコラージュ」だった


ブリコラージュとは、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが

1962年に発表した『野生の思考』で取り上げた概念で、

フランス語で「ありあわせの道具、材料を用いて自分の手でモノをつくること」を意味する


計画的に準備されていない、その場その場の限られた

「ありあわせの」道具と材料を用いてものをつくる手続きを指す



医師としてではなく、人として試されている5日間であった



被災者の方々にお別れの挨拶をした時、

みなさん深々と御礼をしてくださった

「本当はもう少し、みなさんといて一緒に復興をしていきたかったが、

 途中で離脱してしまい申し訳ありません。

 一日でも早く皆さんの生活が取り戻されることを祈っています。」と伝えた


行政の方、ボランティアの方、避難所の管理者さんたちに御礼の挨拶をして回った

みなさん、とても協力的で自分の構想に納得してくださり、動いてくれて有り難かった



 我々が関わらせてもらった避難所は、他の避難所と比べても感染者が少なく、

物資や食料、暖房、上水が整っており、恵まれていた方であったらしい


もちろん、トイレは流せず、お風呂もままならず、

過酷な環境であったことには間違いないが、

他の避難所から入ってくる人が後をたたなかった



今後、ここが拠点の避難所となり、他の避難所は閉じられていくのであろう

二次避難所や福祉避難所への移動が活発になり、この避難所もいつかは閉じられる


その未来に向かって歩き出すように、避難所が途中から「人」のように感じた


医療チームのリーダー(自分ではない)は脳幹(運営所を生かしている中枢、途中まで大脳がなかったので運営所の方針決定も行っていた)

自分は脊髄(チームの方針を聞き、行政の方やボランティアの方と協力)

他県からの行政の方(末梢神経や手足として何でも屋として動いてくれた)

ボランティアの方は耳(避難者さんのニーズを聞いてくれた)

避難所の管理者は口(放送でラジオ体操を流したり、大事な情報を流してくれた)

手足の力は避難者さんの筋力(地面で寝ていると、フレイルが進行し寝たきりになってしまう、段ボールベッドを入れて起き上がれるようにした)

白血球の枠割で避難所のパトロールをしていたのが看護師さん(こちらから伺うことで問題を早めに見つけてくれた)

リンパ節が救護所(具合が悪くなった人たちが訪れてくれる)

感染フロアは病気になった臓器(病気が全身に広がらないように隔離する必要があった)

上水(手洗い)は通っていたが、

下水は止まったまま(トイレが使えないのが大変だった、トイレ掃除が必須となる)


市役所や県(本当の行政)が大脳の指示命令系統

人の少なさと多忙で途中までは出席されていなかったが、途中から出席された

その後、方針がガラッと変わっていく様子も目の当たりにした

大脳(指示命令系統)が誰かを意識する必要があると思った


避難所の心は被災者さんの気持ち

(一人ひとりと話すことで、避難所全体の意思をS先生が代弁していたように感じた)

 

このように一人一人が避難所で必要な役割を果たし、

避難所が大きな有機体として生きている感覚になった


一瞬でもその一部になれたことは大変貴重な経験になった


印象に残ったS先生の言葉

「南極は想像以上に寒いらしい、ペンギンは実は臭いらしい」と言えても

行ってみなければ「南極は寒かった、ペンギンは臭かった」とは言えない

実際に経験してみないとその言葉は言えない


今回の経験で「避難所は過酷な環境であった」「避難所運営は難しかった」

とはじめて言える気がする


 

CSCATTTに準じて振り返る>

 

C 指揮命令系統は今後、市(行政)になっていくであろう

  ただ市の方も現場の目線で見えているわけではない

  もっと高いところから、他の避難所もみつつ、我々の避難所をみている


  市の方の意見は尊重しつつ、避難者の方の意見も尊重すべき

  医療チームは今後、避難所の方と市をつなぐ調整役を求められると思われる

 

 

S 安全面は道中がもっとも危険であった

  避難所内も危ない場所はいくつかあったが、活動する場所としてはあまり危険はなかった

  暖房設備があり、寒さ対策がなされていて良かった

 

 今後はさらに道路状況は過酷になるので、チェーンやスペアタイヤの装着について

 学んでおく必要があると思われた


 感染から身を守るという安全対策も重要である

 自分だけでなく、運営スタッフやボランティアの方も守る必要がある

 実際、5日間の活動中に運営スタッフの3人が体調を崩してしまった

 

 適切な感染対策を伝え、実行してくことが大事である


 

C  コミュニケーション 携帯電話は通じた

 コンタクトリストにステークホルダーの名前と連絡先があるので活用すると良い


 SlackやLINE、Google fileで情報共有を

 他県の行政の方やボランティアの方、管理者の方とは直接のやりとりが必要


 スタッフには高齢の方も多く、デジタルだけの情報共有は困難であることを学んだ

  彼ら彼女らの協力がなければ、避難所運営は不可能


 一般の方であり、医療的なことを求めすぎないこと

 求める時には丁寧なコミュニケーションが大事である

 

 DMATや拠点病院との情報共有をさらに親密に行っていくべき


   自分を送り出してくれた本部との連絡も密に必要である

 毎日状況は変わるため、数日で全然違った風景になってしまう

 災害時の情報の賞味期限は3日くらいだと感じた


 被災地に入る方は、活動できる時間は非常に短いため、

 現地の道路や避難所の構造・システムを予習をして、

 いつでも活動できることが求められる


JSPEEDの入力は難しくはない

災害診療記録は避難所のカルテとして上手に使うことが求められる

  

A   避難所アセスメントはD24Hに準じて行い、

  DMAT本部に伝えることが大事


  避難所の何を確認すればよいかの勉強になる

 

 今回は病院のサポートに行ったわけではないが、

 病院の場合は入院が可能か、外来は始められるのか、

 手術は可能か、などをアセスメントする必要がある


 自施設が震災にあった場合、まずは情報収集を行い、

 アセスメントを行う必要がある

 

T トリアージ、搬送、治療

  今後、拠点病院での入院が難しくなることで避難所がいよいよ、

   病院と同じ機能が求められるかもしれない


     感染フロアを病棟にはしたくなかったが、今後は病棟にならざるを得ないかもしれない


病棟になってしまうことで、被災者さんが患者さんに変わってしまい、

支援者と被災者さんの関係が、医師-患者関係の中に落ち込んでいくことが懸念される


医療ニーズは今後も刻一刻と変わる


今回はACSCPA、脳梗塞などのThe救急症例には出会わなかったが、

今後、薬がなくなって2週間が経過した人もおり、

脳梗塞や肺炎、ACS、心不全増悪が増えてくると思われる


そういう意味では、医療資源を持参した方が良いかもしれない

例えば、尿カテや点滴など


採血や画像検査は不可能であるが、ポータブルエコーはあった


どこまで粘るか・・・が今後医療に求められることであろう


平時であればtPAができる人や助けられる方がいても、

避難所ではできないという倫理的な問題が生まれてくることは容易に想像できる

それは病院でも同じである


陸路で多くの方を搬送することは難しく、広域医療搬送がメインになるため、

誰を搬送するかトリアージが必要になる


それを病院とDMAT本部と県、自衛隊が連携して行っている


急性期を過ぎたこれからは震災関連死が増え、

内科疾患の増悪により患者数が急増してくる


そうなると、入院適応のハードルは極端に上がってくるため、

まだまだ広域医療搬送のニーズはあるであろう


金沢の病院ではすでに何百人の搬送を受け入れており、

知り合いの金沢の勤務医も疲弊していた


石川県だけでなく、日本全体で今回の災害を支える必要があると強く感じた



そのため可能であれば県外の二次避難所や

介護が必要な人は福祉避難所への搬送が望ましい


今も避難所全体の人数を減らすことを目標に行政は動いている



2週間をこえ、避難者さん・ボランティアの方は心身ともに疲れており、

喧嘩やトラブルが増えてくる可能性がある

我慢の限界を超えた時に何が起こるか想像するのは難しい



今後の避難所のニーズは、

本格的な内科治療、介護が必要な方への介護、

メンタルケア、リハビリ、栄養状態の改善になってくる


そしてそこにはいつもトリアージが必要であり、

自分のマンパワーを目の前の人にさいてよいのか、

それとも他にもっとひどい状態で苦しんでいる人はいないのか?

という視点も重要である



鳥の目(広い視点でトリアージを行う、システムの修正)

虫の目(目の前の方に何ができるか、医療・メンタルケア・リハビリ)

魚の目(時間軸で物事を評価・判断)


この3つの目で災害支援を行うことが大事だと感じた



 

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