2024年6月4日火曜日

ミソフォニアとふつうの相談

ある日の外来 (※症例は修正や加筆を加えてあります)


午前中の初診外来をしていると20代後半の女性が、

「人の発する音が嫌」という主訴で受診された


その女性はすでに何度も当院を受診していたが、

そのような症状の記載はどこにも見られなかった


腹痛、頭痛、吐き気といった一般的な症状での受診はあったが、

今回のような主訴での受診はなかった


見た目はすらっとしており、整った整容だった

仕事は美容師をしているとのことであり、髪の毛は派手に染まっていた

話し方は穏やかで焦燥感はなかったが、やや不安げな表情が時折みられた


症状を詳細に聞くと、小中の時は何ともなかったが、

高校生の時に父親の咳や食べ物を食べる音がうるさいのが気になるようになったのが始まりのようだ


年頃の女性が父親の一挙手一投足にイライラしたり、

不快感を露わにすることは特別なことではないと思われたが、

この女性はその後、症状が悪化していく


父親だけでなく、母親の咳払いや鼻をすする音にも敏感に反応するようになってきたのだ


それは家族だけではなく、学校の同級生も同じであり、

授業中の咳払いやくしゃみといった、

いわゆる「人間が発する音」に嫌悪感を持つようになったのである


これまでの人生では、この嫌悪感や不快感を表に出すことはなく、

ずっと隠してきたが、ついに耐えれきれなくなって病院を受診した


特記すべき既往はなく、内服薬もない

すでに両親とは別居し、一人暮らしをしている


仕事は美容室で働いており、お客さんの咳払いやくしゃみも不快に感じる

同僚との食事中も咀嚼音が気になってしまうので、一人で昼食をとるようにしている

外食に行く際には、ノイズキャンセラ付きのイヤホンをつけている


この症状については誰にも相談したことはない

自分の発する音は大丈夫、物音や自然音も大丈夫、音楽も大丈夫

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この症例で行うべきことは何でしょうか?


M先生「自分もそういう傾向はあります。

    親の咳する音が嫌いでした。

    ですが、日常生活に支障をきたすということはありません。


    この人がなぜこのタイミングで受診したのか、

    本当の主訴みたいなものを知りたりですね」



T「そうですね。この方は症状がどんどん悪化傾向で、

 日常生活に支障を来たしており、この症状を治したいという気持ちで来ています。


 パートナーはいませんが、この症状があるために

 将来的にパートナーができるかも心配されています。


 解釈モデルとしては脳や耳に問題があるのだと思っていて、

 耳鼻科にも行きたいとのことでした。」


K先生「何か自分で対応はしましたか?」


T「そうですね

  この方はネットで調べて自分の症状が ”ミソフォニア” であることも

  突き止めていました。


  対応としては、イヤホンをして

  周りからの音をシャットアウトするようにしています」


K先生「ミソフォニア?」


T「自分もミソフォニアのことは知らなかったので、調べました」


ミソフォニアとは、特定の音を聞くことで非常に強い不快感や怒りを覚える状態です

 自分の音は大丈夫ですが、他人が発する音(くちゃくちゃ音、鼻すすり音など)を聞くと過剰な嫌悪感や不快な感情を抱きます

ミソフォニアの正確な原因はまだ分かっていませんが、聴覚情報処理の異常や情動制御の問題が関係していると考えられています。 治療法としては認知行動療法や曝露療法などが試みられていますが、根本的な治療法は確立されていません

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診断名はわかった、で どうする?


U先生「自分の外来にPPPDの人がいますが、同じような感じで少しずつ曝露して

   慣れてもらうしかないのではないでしょうか。


   PPPDの人も最初は買い物とかも難しかったですが、

   半年くらいトレーニングしてもらって、だんだんよくなってきました。」


T「なるほど、自分の外来で経過観察して、

 少しずつ曝露させて治るかどうかみていくということですね。」


E「ミソフォニアの治療には、認知行動療法と書かれていますね。

 精神科につないで認知行動療法を行っていくのでしょうか」


T「ちなみに本人は精神的な問題であると対応されることに強い嫌悪感があります。

 精神科の薬や精神科に通院したいというニーズは全くありません。


 あくまで、脳に異常があるのではないか?と思っています」


K先生「直接、精神的な問題とは言わなくても、

   こういう風に説明したらどうですか?


   人の音に対して、あなたの脳は感情を司る神経回路が

   不適切に敏感に作動してしまい、

   嫌悪感や不快な感情を引き起こしてしまっています。

   

   なので精神的な問題ではなく、脳の機能的な問題ですと

   説明するのはどうですか?」



T「素晴らしいですね。

 

 では自分なりに思ったことを解説してもいいですか?

 

 ちなみに東畑開人さんが書かれた「ふつうの相談」という本をご存知ですか?

 藤沼先生が以前、おすすめされていた書籍ですね。

 

 藤沼先生は、

卓越した家庭医療=医学生物学的専門知の適用+「ふつうの相談」


 であると仰られていました


 この患者さんについて「ふつうの相談」の本に書かれている内容を元に

 解説していきますので、興味がある方は「ふつうの相談」をお読み下さい。」





先ほどのK先生がお話された内容は、

クラインマンの説明モデル理論の一つの説明モデルですね。


〜本書より引用〜

説明モデル理論とは様々な治療に共通するミクロなコミュニケーションの構造を明らかにしたものです。


説明モデルとは

「臨床過程に関わる人全てがそれぞれに抱いている病気エピソードとその治療についての考え」であるとクラインマンは定義しています


要は

「なぜその病気になり、

 その病気はいかなるメカニズムで成立しており、

 それはいかなる治療法で対処され、

 いかなる予後が規定されるのかについての一貫した理解」


のことです


〜引用終了〜


例えば、人が緊張性頭痛を患った時の説明モデルは色々あります


①生物学的な説明(西洋医学)

同じ姿勢でいることで肩の筋肉がこりかたまり、肩の血流が低下し、

肩の筋肉の緊張から緊張性頭痛という頭痛を起こしています

治療は痛み止めや筋肉の緊張をとる薬を使ったり、肩こりが治るような体操をおすすめします


②東洋医学的な説明

肩の筋肉や組織に「気・血」というエネルギーのめぐりが悪くなっています

原因として、冷えがあげられます。 最近の気温差が関わっているかもしれません。

治療としては入浴などでからだを温めたり、葛根湯を服用すると良いでしょう


③霊的な説明

あなたの祖先の霊が肩にのっているのが見えます

その祖先の霊が取り憑いているので、肩が重い症状が出ているのです

墓参りを数年怠っており、先祖の霊は怒りを露わにしています

治療は墓参りに行き、お祓いに行くことです



このように治療者はある特定の理論的な枠組みを使って、症状を説明します

そこで用いられるのが、説明モデルです


心理療法家は「心理学」を使って、

内科医は「生物学や内科学」を使って、

東洋医学科は「東洋医学」を使って、

ソーシャルワーカーは「社会」を使って、

古代ストア派であれば「哲学」を使って、

一神教であれば「神」を使って、説明を行います


大事なのは、

患者さん(クライエント)がその説明モデルに

納得できるかどうかです


納得ができなければ、治療(介入)は為されません


霊的な説明モデルを信じられなければ、誰もお祓いにはいきません




もう一つ大事なことは、

「治療というものが説明モデルを通じて、

人間をある種の生き方へと象っていく営みであることです」


簡単にいうと、

治療がその人の生き方を変えてしまう可能性があるということです



霊的な治療によって症状が軽快した場合、

その人は霊的な存在に畏敬を払った生き方を今後するでしょう


西洋医学では効果がなく、東洋医学の鍼灸によって軽快した場合、

その人は今後も東洋医学的な治療を好むでしょう


西洋医学によって重大な副作用が出現した場合、

その人は西洋医学の薬への嫌悪感が芽生え、薬に対して敏感になるでしょう


医療機関を受診せず、薬も使用せず、ヨガやマインドフルネスで解決した場合、

その人は医療から距離を取り、自分の力で解決しようとするでしょう



この考え方は目から鱗でした

その通りだと思います


風邪に抗生剤を欲しがる人、ワクチン忌避、病院嫌いな人、漢方が好きな人・・・

医療にnegativeな人もpositiveな人も・・・


全てはこれまでの「説明モデル」と「治療」に由来していたのです



私たちは治療によって目の前の患者さんの一時点をよくしているつもりでも、未来の患者さんの生き方にまで関わってしまっているのです


本書には

「説明モデルとは、単なる知的な枠組みではなく、人々の象徴体系を組み替え、

特定の主体化を促すリアルな媒体なのである」と書かれています




症例に戻りますが、この患者さんの場合は、

精神科的な治療やアプローチには納得はしてくれなさそうでした


そのため、脳の問題であることを心配していたので、MRIを撮ることにしました



<ふつうの相談 Bとは?>


T「先ほど、U先生が仰られたこと(自分の外来で経過をみていくこと)は、

 ふつうの相談Bですね


 E先生の提案の精神科での認知行動療法は、ふつうの相談Aです」



そもそも「ふつうの相談0」というものがあります


私たちが体調やメンタルを崩した時や生活で困ったことがあれば、どうしますか?

ほとんどの人は周囲の人に相談することで解決しているのではないでしょうか


この民間セクターの中で交わされている素人たちのケア/治療が「ふつうの相談0」著者は名付けています


支持やアドバイス、苦言、お節介、あえて見捨てるなど、

ふつうの相談0はバラバラなものですが、この多様性が心理療法の原石となっています


ソーシャルワークや認知行動療法、心理学、精神分析、トラウマケアの諸要素が混ざり合って存在しています


それらを特化・洗練させていくと、ふつうの相談Aになります


ソーシャルワークはシステマティックな「お節介」であり、

行動療法は科学的な用語に翻訳された「しつけ」であり、

非指示的心理療法が神学的なまでに高められた「聞く」であり、

もともとはふつうの相談0に存在していたものです



ふつうの相談0が限界に陥ると、

患者さん(クライエント)は専門家に助けを求めるようになります



今回の症例ではふつうの相談0を行うことなく(行えず我慢していた)、

専門家に相談が求められたということです



ふつうの相談Aでは学派的心理療法、

「学派知」を説明モデルとした治療を行います


精神分析理論、認知行動理論、ユング心理学、人間性心理学、トラウマケア、ソーシャルワーク、家族療法・・・


このような学派的心理療法をふつうの相談Aとした場合、

ふつうの相談Bを選択するということは、背水の陣を敷くことです


ふつうの相談Bは、

その患者さん(クライエント)を引き受けるためにあります



どこかへ紹介したり、支援を断ったりするのではなく、

いったん自分のところで問題を預かる


本質的な解決(A)ではないかもしれないが、ひとまずの解決を見出すために、

手持ちの材料でなんとか凌いでいく


これこそが、ふつうの相談Bという選択です




これを読んで、総合診療はまさにふつうの相談Bだな・・・と腹落ちしました



ちなみにふつうの相談Cは、他のみんなに相談することと語られています


みんなで心配し、みんなで見守る体制をつくる

多職種連携を行い、現場の持つ力の助けを借りられるようにするのがふつうの相談Cです



内科医としては、精神的なトラブルを抱えた人の場合

とりあえず、緊急性がなければ、

ふつうの相談Bでまずは問題を引き受けることからスタートし、

より専門的な治療(ふつうの相談A)が必要な患者さんを見極め、

適切なタイミングで適切な専門家に紹介する


自分一人で抱え込まずに、

ソーシャルワーカーや院内の情報通、精神科に相談を行い、

みんなで見守る体制を作る(ふつうの相談C)



言われてみれば、それやってます 笑


ですが、本書ではメタファーを駆使して細かく言語化されており、

メタ視点の要素が入り、自分の臨床を見直させてもらいました



<個人症候群について>


〜本書から引用〜


精神科医の中井久夫先生は、

人々が病気、あるいは心身の不調を認識するありようとして

「普遍症候群」「文化依存症候群」「個人症候群」の三つのアスペクトを挙げた


これらは三つの別の種類の病気があるというわけではなく、

光の当て方によって3種類の見え方がありうるということです


「普遍症候群」はDSMやICDのように西欧近代医学の中で

発展してきた診断カテゴリーが該当します


記述的な診断基準があり、診断は客観的な観察によってなされるため、

文化を超えて「普遍」的に適応可能であるとされます


「文化依存症候群」はそれぞれの文化に固有のローカルな診断カテゴリーがあります

文化的な規範があるときに、それがもたらす副反応も存在します


最後に個人症候群は、不調を個人の人生の文脈として物語ろうとするときに現れる「病名」だと言えます

極限的にミクロな診断カテゴリーです


〜引用終了〜


個人症候群は、病名というよりは、いわゆる「病い」に近いでしょうか

病名というよりは、「そういう状態」とも言えますね



今回の症例は、普遍症候群としてミソフォニアという病名をつけることができましたが、それでは何の解決にも至りませんでした


そもそも、その病名は本人も知っていました



最近、HSPいわゆる繊細さん、という言葉もあります


これは現代日本では「気を遣う」「空気を読む」ことを求められすぎた結果、

生きづらさを抱えた「文化依存症候群」なのかもしれませんね


HSPはミソフォニアと関係があるとも言われています


ミソフォニアは、人の音に敏感さんとも言えるかもしれません



個人症候群的な観点で考えると、

思春期の時期に父親の食べ物を食べる音がうるさくて、

注意しても聞いてくれなかった

そもそも父親と母の不仲があり、父に対してはいい印象がなかった


次第に父の行う行動全て、父の発する音全てに嫌悪感を覚えるようになっていった


「父親への陰性感情のせいでこうなったんだ症候群」とも言えるかもしれません



個人症候群で考えるメリットとしては、治療法や介入点に個別性があり、

より特異的な治療を行える可能性がある点です


今回で言えば、父親への陰性感情を取り除くことが、

結果的に症状を緩和させることにつながる可能性があります


まとめ

・診断をすることで治療につながるとは限らない


・総合診療科は「ふつうの相談B」で引き受け、「ふつうの相談C(多職種連携)」と「ふつうの相談A(学派的心理療法)」へ繋ぐのが仕事


・普遍症候群だけでなく、

 文化依存症候群や個人症候群の観点から

 見直してみると、介入点が見えてくるかもしれない




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